女子学生の入学 【 んいちおとうう イいめい嘗な祭さにあたる一一月二三日に変更し、やがてこの「一一月二三日」が東洋大学創立記四五年一月)。その目的は、オーストラリア・アフリカ・南アメリカなどの視察であり、四一年は哲学館創立二〇年にあたり、一二月一三日に東洋大学記念会が前田学長のもとに開催されました。この一二月一三日とは、明治二九年に哲学館の蓬莱町校舎が焼失した日であり、また三五年に哲学館事件により、無試験検定の取扱がとりけされた日であり、さらに三八年に創立者井上円了が引退を決意したのもこの日です。四四年から東洋大学記念会(式)は、寒さがきびしい時期でもあることを考慮にいれ、新に念日として、定着することになりました。なお四四年四月に名誉学長井上円了は、第三回目の海外視察にでかけています(~この旅行の報告は『南半球五万哩マル』(四五年三月)として刊行されました。代学長大お内う青せ巒らは就任一年後に病床につき、学長代行として出身者の境さの野哲さし〔黄こ洋よ〕】大正三(一九一四)年七月に前田学長が辞任し、ひきついだ第三かい東洋大学の歴史 ―戦前編―24
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