東洋大学史ブックレット12
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 【  学長井上円了の引退公共性を証明する)のために、④家族(引退後の方針を明示して家族に心配させないようにする)のためむすびつきました。このような状況から講師や卒業生のあいだには、無試験検定の特典を復活させようとする要望がおこります(哲学館大学革新運動)。これに対して学長井上円了は、事件が真の解決をみないで特典を復活させるべきでないといい、意見が対立していくことになりました。重要性から「京北幼稚園設立旨趣」を発表し、五月に京北幼稚園を開園して自ら園長となります。ところが、八ヵ月後の一二月一三日に井上円了は、学長と中学校長の辞任を表明します。円了自身は引退の理由について、①病気(体調とくに神経衰弱を治療する)のために、②事業(学校の設立・運営につとめてきたが、研究継続と修身教会・哲学堂の運営に専念する)のために、③社会(大学運営はもともと社会的・公共的な事業であり、井上家の子孫を関与させることなくに、という四点をあげています。なお井上円了の辞任にあたり、大学組織を財団法人】明治三八(一九〇五)年三月に学長井上円了は、幼児教育の東洋大学の歴史 ―戦前編―22

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