ん ゆ 【 私立哲学館の創立(学費の余裕)がないものでも、③また原書を読み理解するための「優ゆう暇か」(時間の余裕)がしていきました。は、在学中から学校の設立をめざしており、二〇年六月に「哲学館開設ノ旨趣」を発表し、七月に東京府知事へ「私立学校設置願」を提出し、九月に私立哲学館を創立します。哲学館開設の「旨し趣し」(目的)は、①あらゆる学問の基礎である「哲学」を短期間に修得できるようにすること、②ある程度歳をとって〔帝国〕大学で学ぶ「余よ資し」ないものにも、「哲学」を学べるようにすることでした。創立当初の哲学館は独自の校舎をもたず、本郷区龍岡町三一番地(現・文京区本郷)の麟り祥しょう院いん境内に教室を借りて、一六歳以上の男子を対象に、月謝一円(年一二円)、入学試験もなく定員五〇名で出発します。ただ開館当時の入学生は、一三〇余名であったといいます。哲学館では二一年一月に館外生(のちに館外員)の制度をもうけ、同時に『哲学館講義録』(毎月三回)を発】明治一八(一八八五)年七月に東京大学を卒業した井上円了 二 哲学館と哲学館大学(明治二〇年~三五年)11
元のページ ../index.html#15