んどさず安あう藤 正まみ純(一八七六~一九五五) 政治家・国務大臣つな陸く羯かん南の主宰した新聞『日本』の記者となりました。時期的には正岡子規とほぼ同じ身者であることに違いありません。哲学館の後、東京専門学校(現早稲田大学)を卒業し、頃の社員です。後に朝日新聞に移り編集局長を務めました。大正九(一九二〇)年、衆議院議員選挙に立候補し当選。以後当選十一回、犬養内閣では文部政務次官を務めました。太平洋戦争中は、大政翼賛会の推薦なく非推薦で当選。戦後は吉田内閣で国務東京都出身。浄土真宗大谷派の寺に生まれました。明治二八(一八九五)年、哲学館卒業といわれますが哲学館の記録にその名はありません。東洋大学の記録には大正七(一九一八)年以前に講師号が贈られています。この称号は哲学館・東洋大学の出身者で学術的・社会的業績を挙げた人に贈呈される称号ですから出が2 人物で見る東洋大学
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