大学文学部印度哲学科に入学するが、ほどなく退学し、松竹映画蒲田撮影所の俳優研究所一期生となりました。一説では、入学の手続きをすませたあと、友人に誘われて松竹の見学に行き、そこで俳優研究所に入ったともいわれています。その直後に父が死亡したため帰省しましたが、寺を兄に譲って上京し松竹に復帰しました。しかし強い熊本訛りが抜けず、長い間いわゆる大部屋俳優として過ごしました。昭和三(一九二八)年、この笠に端役ながら出演の機会を与えたのが小津安二郎です。この後も小津は笠を端役として出演させましたが、それ以上の役柄はありませんでした。ところが昭和一一(一九三六)年の作『大学よいとこ』で準主役の役を演じて信頼を得て、同じ年の『一人息子』では三二歳でありながら老け役をこなして評価を得ました。以後、もっぱら父親役を演じて名脇役としての地位を確立します。笠の評価を不動のものとしたのは、昭和二〇年代に続けて世に出た小津作品によってです。『晩春』『麦秋』『東京物語』では、絶頂期にあった原節子の父親役(『東京物語』人物で見る東洋大学 30
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