比ひ田井天てい来(一八七二~一九三九) 書家んらただし、もともとは四連詩でしたが、現在では三・四連は失われて一・二連のみが唱われています。「亜細亜の魂……」で始まる東洋大学校歌も古渓の詩に山田耕筰が曲を付けました。天来は号。幼名は常太郎。後に鴻と改名しました。長野県北佐久の出身で、小学校卒業後上京し、明治二五(一八九二)年に哲学館へ入学します。主に漢文・漢学を学んだようですが、同時に当代一流の書家であった日下部鳴鶴に師事し門下生となります。後に哲学館を離れて二松學舍に転じました。天来の書は、中国の古碑文を研究し、その骨格を再構築したもので、現在の学校書 だい れた理論家として知られます。道の筆法の基礎となりました。そのため現代書道の父とも称されますが、書論にも優27
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