東洋大学史ブックレット11
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林はし 古こ渓け(一八七五~一九四七) 詩人・作詩家 いや いがくのかみ大だ学頭を世襲しましたが幕府の瓦解によって失職します。さらに古渓一〇歳の時に父古渓は号。本名は竹次郎。林家は家祖を江戸の漢学者林羅山に遡る名家であり、は死去。その後、哲学館教育学部に入学し、漢学に親しみます。在学中は漢詩の作詩にその才を見せたりしますが、新体詩にも興味をもち、同好のグループを作ったといいます。明治三二(一八九九)年に卒業した後、京北中学校の教員となり、その一方では東京音楽学校に入学しています。古渓の詩の中で最も有名なものは「はまべ」の詩でしょう。この詩が広く知られるようになったのは成田為三が曲をつけ「浜辺の歌」として親しまれたからです。ことに第二次大戦後、中学校の音楽教科書に載るようになってからは、ほとんどの日本人が一度は口ずさんだ詩となりました。作詩の時期は古渓が音楽学校に通っていた時期であり、音楽学校の学友会誌『音楽』(四巻八号・大正二(一九一三)年)に発表されました。人物で見る東洋大学26

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