の匪族に襲われて死亡したとされています。能海は中国からの入境を計画しましたが、同じ時期、ネパールからチベットへの入境に成功したのは川口慧海です。慧海も険悪な道に難渋をきわめましたが、多くの僥倖にめぐまれたところに能海との差があったというべきでしょう。今日この二人をチベット探検家と記す書籍が多いのですが、それは正確ではありません。二人に共通するのは求法・求経の堅い意志であり、そのためのチベット行きであったことです。逆にいえば、この意志が能海を死に導いたといえます。能海が入手したチベット語の『金剛般若経』『金光明経』が大谷大学に所蔵され、研究に資せられているのは、いささかの慰めといえます。後に能海は、東洋大学名誉講師の称号を慧海とともに贈られています。 25
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