能の海みかん(ゆたか)(一八六八~一九〇三?) チベット仏教者ものの、チベットの鎖国政策により果たすことができず、密に中国ルートからの入国を計画します。明治三二(一八九九)年大谷大学の寺本婉雅教授と四川省からの入国を計りますが、失敗に終わります。翌年、再び新疆からの入国を試みるも、難路と嶮岨に阻まれて引き返しました。さらに翌年、三たび雲南の大理を出発しましたが、音信不通、行方不明となりました。その後の調査では、雲南省のチベット国境近くで土地う 寬 浄土真宗大谷派の僧。チベット仏教の研究者。島根県出身。上京して初め慶応義塾に入学しましたが、後に哲学館に転入しました。その後はサンスクリット語研究で南条文雄に師事し、中国語を中国研究者である宮島大八(詠士)に習いました。哲学館在学中よりチベット仏教研究の必要性を論じ、チベット入国を望む人物で見る東洋大学出典:能見寛写真集24
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