東洋大学史ブックレット11
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関せ敬け吾ご(一八九九~一九九〇) 民俗学・文化人類学者・東洋大学社会学部教授の前身)の職工となり夜間は哲学館哲学部に通い、明治三三(一九〇〇)年に卒業。これ小学校を卒業し、上級学校に進学を希望するものの、ようやく官費の師範学校の受験を許されます。しかし、師範学校は一八歳以上でなければ受験できず、小学校長の家に書生として住み込むなど苦労を重ね上京。明治二八(一八九五)年、秀英舎(大日本印刷より先、明治二九(一八九六)年に、雑誌『新声』を創刊。定価は五銭でした。新潮社はここから始まったのです。立志伝中の人物です。長崎県出身。大正一三(一九二四)年東洋大学専門学部文化学科卒業。卒業後に柳田  き い類型分類による原型・発生地・成立時期の解明などが広く行われていました。これを國男に師事して民俗学を学び、昔話の蒐集などを行いました。当時の民俗学、殊に昔話研究では、フィンランドのユリウス・クローンやアンティ・アールネの行った話の21

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