東洋大学史ブックレット11
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本名は炳へ五ご。新潟市出身。生家は新潟屈指の大地主。父の仁一郞は衆議院議員、新潟新聞社主。炳五の名は丙午生まれの五男に由来。昭和五(一九三〇)年、東洋大学大学部印度哲学倫理学科を卒業。在学中はインド哲学・仏教学関係の書を多読し、ノイローゼ状態に陥ることもありましたが、サンスクリット語などの語学に熱中することで克服したと伝えられています。さらにはアテネ・フランセに通ってフランス語を修得しました。このように一方では神経衰弱になるほど勉学につとめ、しかしそれを超克するためにさらなる無理を強いるという性格は、少年期からの性向によると思われ、その破天荒な性格は結局、自身を死に至らしめる結果となったのでした。大学卒業後に本格的な文筆活動に従事し、新進作家として認められる作品を残しましたが、しかしこの頃の坂口の文筆活動は戦後に開花するいわゆる無頼派文学への雌伏期間となったのです。戦後の坂口の文学活動を決定づけたのは、終戦の翌年に出版された『堕落論』で    い17

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