東洋大学史ブックレット11
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木き山やしょう捷平へ(一九〇四~一九六八) 詩人・小説家る仏教研究を行いました。後に木山は短編小説を得意とするようになりますが、作風は端正で身辺の日常を記  ま い となり、翌年にも『河骨』が同賞の候補となるなど、力のある作家でしたが寡作でししたものが多くあります。昭和一四(一九三九)年には、『抑制の日』が芥川賞の候補作(現神戸大学)を卒業。小学校の訓導(教諭)となるが大正岡山県出身。大正一二(一九二三)年に姫路師範学校一四(一九二五)年に上京して東洋大学専門学部文化学科に入学、後に中退。その後、詩集などを自費で出版するなど作詩・作歌活動を行い、太宰治等と知己を得て小説を書くようになります。13

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