れを取り囲む三つの建物を全て同時に失うことになりました。これを、過去の遺産の喪失という視点から眺めれば、東洋大学は、明治にこの地に移転してきて以来積上げてきた全てを、それこそ白山校地という場所性以外の全てを自らの手で葬り去ったことになりますし、未来の可能性という視点から眺めれば、都市型大学としての再生を館、そして平成一五年、現五号館が竣工し、白山校地の姿は一新されました。この再開発では指名コンペ方式で、第一工房の計画案が採用されました。所長の高橋精てい一いち氏は、大阪芸術大学のキャンパス計画を手掛けた大学計画の専門家です。私は、要求規模から考えて最良の選択であったと考えますが、白山移転以来、戦災を乗り越え、度重なる増築でも失われることのなかった広場と、そ写真⑳ 五 立地規制の導入とその解除45
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