東洋大学史ブックレット10
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昭和五一年三月一二日、漸く朝霞校地に校舎建設の見通しがつき、朝霞での授業計画書と未許可の建築確認申請書(昭和五一年二月提出済)、それに建築図面しかない段階で、造成中の校地に対する文部省及び大学審議会による視察が行われました。その結果、学生総定員を学部、短期大学を併せて一六二〇名から二六〇〇名に増員することが認可されます。これで定員と実員との差を二倍以内に治めつつ、財政上の困難をひとまず回避するに至ったのですが、工学部同様、こちらも綱渡りに継ぐ綱渡りでした。授業開始も予定どおりにはいきませんでした。実際に朝霞キャンパスでの授業が開始されたのは、当初の予定より半年遅れた昭和五二年四月からでしたし、白山五学部の教養課程の完全な移転が実現したのは、認可から一〇年後の昭和六一年度のことでした。写真⑳が、完成まもない朝霞キャンパスの様子です。そしてついに平成二年、白山キャンパスの再開発が開始されます。二年後の平成四年に、先ず現一号館、二年後の平成六年に現二号館と三号館、平成一三年には現四号建築史から見た東洋大学の変遷  44

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