的整備について』をもって「大学立地政策」の開始と考えるのが一般的な評価です。具体的には、昭和五一年以降、指定地域では、大学は規模の拡大が認められなくなったのです。その指定地域の一つが東京都二三区でしたから主要な大学はあまねく、既存地域での規模拡大を許されなくなった訳です。当然、東洋大学も、以後白山キャンパスでの拡充は望めなくなりました。確かに、主要な私立大学が東京の都心部に集中し、そこで高密度化を前提に拡大を続けるという構図には問題がありましたが、同時に「工場等立地規制」の「等」は常識的には工場に関係する施設を指しており、法の趣旨は、工場及びそれに関連する施設の立地を規制するものであったと推察されます。私立大学の多くが無理な拡大を続けていたが故に、規制当局も拡大解釈で対応しなければ間に合わなかったという話にはなりますが、建築に携わる者としては、法律用語としての「等」が如何に大きな問題を孕んでいるかを考えさせられる事例でも有りました。首都圏で、この規制が撤廃されるのは平成一五年のことです。 五 立地規制の導入とその解除43
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