立地規制の導入 立地規制の導入とその解除混乱の中にあった昭和四〇年代は、狭きょ隘うあ化いかする白山キャンパスの問題を抜本的に改五 善する為に、再び教養課程の移転が模索された時代でもありました。最終的に、川越と白山の中間点である朝霞に土地を得て、漸く朝霞キャンパスの建設に取組むことになるのですが、ここでも農地転用、市街化調整区域故の開発行為、埋蔵文化財指定地区故の試掘等の問題が次々と顕在化し、開発は遅々として進みませんでした。その間も事態は益々悪化し、昭和四九年度の学則定員と実員(実際の入学者数)との格差は、経 五 立地規制の導入とその解除41
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