達成し、自らの足を、しっかりと地に着けたのだろうかという問いでもあったはずです。因みに、私がこれを読んだ一九八〇年代末は、バブル景気の真只中でした。私達の足がしっかりと地面を捉えているとはとても思えない時代でもありました。そう考えると「もはや戦後ではない」という問いは今でも私達の前にあると考えるべきですね。さて、東洋大学は戦後も白山校地を中心とする大学であり続けた訳ですが、財政上極めてひっ迫した状況にあった事実に変化はありませんでした。昭和三三年九月には、本館校舎裏側への増築工事が開始され、翌年三月に竣工します。増築とは言え、五階建の鉄筋コンクリート校舎で、連日昼夜兼行の突貫工事でした。ここで、少しだけ川越キャンパスについて触れておきたいと思います。川越キャンパスに構想された理工系学部の規模は、当初、理学部、工学部、薬学部、農学部の四学部と、それを支える教養部という実に壮大なものでした。建築家谷口吉郎による基 四 高度成長期 33
元のページ ../index.html#37