閑かが同誌に書いた「負けに乗じる」という一文を念頭に、長谷川が批判した状況がい」という一文を発表し、それが「経済白書」に引用された正にその年に当たります。私は、昭和三〇年生まれですから、この題名の意味を長い間知りませんでした。むしろ、当時、多くの人々が、この題名から想像したとされる「もはや貧しく苦しい戦後は終わった」という意味で受けとめていたと申し上げた方が事実に近いでしょう。その原因は、その直後、日本経済が高度成長期に突入したからですが、それは結果論に過ぎません。私が中野好夫の真意を私なりに理解したのは、一九八〇年代末に刊行された「『文芸春秋』にみる昭和史」を通読した時のことですから、ほぼ三〇年後のことになります。彼の真意は、むしろ敗戦直後の昭和二〇年、例えば長は谷せ川が如に是ぜ中々克服されない事実を指摘した上で、「もはや」その様な「戦後」と決別すべき時期に来ているのではないのかという点にあったとの印象でした。勿論、それは、坂口安吾が「堕落論」の中でその必要性を看破した成すべき「堕落」を当時の私達が既にんわょ建築史から見た東洋大学の変遷32
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