昭和三〇年代の状況 高度成長期夫々の自立と新たな相互理解への避け難い一歩と捉えるかは意見の分かれるところですが、井上円了の描いた敷地計画が結局実を結ばなかった事実を考えると、大学が白山の地を離れなかったことこそが、あるいはそれだけが東洋大学の歴史的継続性の大切な証になっていることに気が付きます。移転の頓挫こそが大学を救ったと言うべきでしょう。少なくとも私はそう考えています。本館の竣工した昭和三一年は、中野好夫が文芸春秋の二月号に「もはや戦後ではな四 四 高度成長期31
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