東洋大学史ブックレット10
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チとそれに続く階段が、大学生には彼等が抱くべき志の高さを象徴するかの如く、中高生には自らの将来を象徴するかの如く、それ故、彼等と対峙する趣で立ちはだかり、階段を登りきったその先に大学を象徴する広場が待ち受けるという構成です。広場の正面には、大学が四聖と仰ぐ、カント・孔子・釈迦・ソクラテスを刻んだレリーフを掲げた本館校舎が、左右に講堂と図書館を従えつつ学生を待ち受けます。実に見事なアプローチではありませんか。もし、大学が当時の規模のまま維持されていれば、もし、京北学園と東洋大学との一体性が堅持されていれば、学舎がこのアプローチを失うことはなかったのではないかとの印象ですが、当時、既に京北学園と大学の関係は極めて悪化しており、京北学園生にとって階段は将来の象徴では無くなっていましたし、大学側はマスプロ教育へと大きく舵を切っていました。京北学園の移転、一二五周年記念館(八号館)の建設、そして京北中学校と同高等学校の附属校化という流れの中にある今日、戦後のこの展開を、歴史的構成の放棄或いは喪失と捉えるか、建築史から見た東洋大学の変遷30

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