の機能を充分には果たせないという状態に陥りました。これを教訓に、その後行われた木造校舎の工事発注に際しては、極めて丁寧な業者選定が行われましたが、本来は、鉄筋コンクリート造の既存校舎の改修にこそ手間を掛けるべきでした。写真⑪は、占領下で建設された木造校舎ですが、敗戦直後のこの時期には、何処でも、こうした形式の建物しか建てられませんでした。所謂木造モダニズムと呼ばれる建築様式の建物です。東洋大学は、移転が出来ない以上、荒廃した校地の再生なくして教育の場の存続は考えられず、校地の売却が出来ない以上、その再生資金の目処は立たずで、殆ど絶望的な状況にあった訳です。新制大学としての東洋大学の建設は、財政難の中、震災復興時の鉄筋コンクリート造校舎の改修と、木造校舎の建設からはじ写真⑪建築史から見た東洋大学の変遷26
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