東洋大学史ブックレット10
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の落成を期に三号館へと改称された)の三棟は、鉄筋コンクリート造であったことで焼失を免は有り得ませんでしたし、東京への人口の集中と、教育のマスプロ化との間にも深い繋がりがありました。この小冊子では、以上のような論点に注目しつつ、主に白山キャンパスに焦点を当てながら、戦後を、占領期、高度成長期、立地規制とその解除の三期に分けて記述していきたいと思います。まず、敗戦直後の白山校地の状況からはじめましょう。敗戦直後の白山校地の情況を写真化すれば、恐らくは、先の写真⑩から、木造を取り除いた姿になっていたと推察されます。しかし、実際の被害はそれ以上に大きなものでした。戦前の震災復興期に建設された、講堂、図書館それに新校舎(名称は西校舎を経てB校舎となり創立八十周年記念館れたものの、その内部は火災による被害が甚大で、東洋大学は、実質的には、校舎の過半を失った状態にありました。これが、戦後の東洋大学の置かれた現実でした。東洋大学は、建築的にも財政的にも存亡の危機に有りましたが、戦後も大学であり  建築史から見た東洋大学の変遷24

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