への転換の大きな契機となりました。以後、日本の近代建築史は鉄筋コンクリートの時代に入ります。東洋大学では、昭和三年の新校舎の竣工、昭和四年の図書館の竣工、そして、昭和九年の講堂落成を契機に、大学としての姿を整えますが、三棟とも鉄筋コンクリート造での新築です。関東大震災の教訓が生かされたと言ってよいでしょう。因みに、先に紹介した煉瓦造二階建の図書館はその後改築され、さらに昭和四年六月、新しい図書館の竣工とともに廃館となり、学生の部室及び什器庫としてしばらく使われたものの、昭和一二年には取り壊されるに至っているので、取壊された図書館は、写真⑥の次の図書館ということになりますが、その経緯から見て、概ね同じ場所に建っていたものと推察されます。一方、木造の講堂も、多くの歴史を残して同時に取り壊しとなっているので、白山キャンパスの旧図書館と旧講堂は、鉄筋コンクリート造の校舎・図書館・講堂の建設と共に順次撤去されていったことになります。明治建築史から見た東洋大学の変遷 16
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