東洋大学史ブックレット10
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戦前の白山キャンパス士前町に建設されます。これで、井上円了の構想した幼稚園から大学に至る一貫教育は、小学校の設置を残すのみとなりましたが、それは遂に実現しませんでした。大正一二年、東京は、日本の近代建築を大きく転換させることになる災害に遭遇します。関東大震災です。日本の近代は、江戸時代以来繰り返されてきた都市災害としての大火を克服すべく、都市の不燃化を主眼に進められました。これが、煉瓦造採用の技術的な背景でした。一方、煉瓦造に象徴される組そ積せき造ぞうが必ずしも耐震的ではないとの認識は、徐々に広まりつつありましたが、耐火建築としての信頼から、克服すべき構法との認識には至りませんでした。ところが、関東大震災は、その組積造が耐震的で無いばかりか火災に対しても決して万全ではないことを私達に知らしめたのです。これは大変な衝撃でしたが、同時に、耐火耐震建築としての鉄筋コンクリート造 二 白山移転から敗戦まで 15

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