院いと呼びます。付書院の成立は中世の寺院内の僧坊や方丈であったと考えられていま押しと呼ばれる帯状の角材が取付けられ、中央には釘くぎ隠かくしと呼ばれる装飾金物が施されて桟が細かく入った障子の部分がありますが、中央に何か置いてある様子なので、この部分は、少し奥まった形式になっていたものと推察されますが、こうした部分を付つ書しすが、発生期には、この奥まった部分は机の役割を果たしていました。正面の細かい桟の入った障子は、机のための明りとりの役割を担っていました。その右側にあるのが床の間、更にその右隣にあるのが違い棚と呼ばれる部分です。また、手前の額の取付けられた部分、欄ら間まと呼ばれる部分の下、鴨居と呼ばれる部材ですが、そこには長ないます。一方、柱は、床柱(床の間と違い棚の間の柱)以外、全て角柱が用いられています。この様な形式の和室を「書院造」と呼びます。中世に起源を持つ付書院が近世に至って武家の住宅様式としての書院造に発展し、更に、日本の住まいを代表する建築様式となり、少なくとも昭和四〇年代位までは、どこの住宅にも見られた建築様式です。んげんけょ6建築史から見た東洋大学の変遷
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