東洋大学史ブックレット9
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とどこかしらオーバーラップするものとして捉えられる気がしてなりません。(3)山岳信仰の行場七七場の「場」という用語ですが、山岳信仰(仏教)において各地に体系的な経路をなすように設けられた行場(修行の場)に由来しているのではないかと考えています。出羽三山や大峰山などは、山全体が修験道の修行の場としての道場として位置づけられています。また、主として江戸時代以降になりますが、富士信仰に基づいて富士山に模して造営された人工の山や塚が全国各地に整備されました。当時の富士山は、女人禁制であったり、遠くてなかなか行きづらいところであったことから、身近な場所に富士山を模倣したものを作って、誰もが手軽に富士参拝ができるようにしたものです。できるだけ多くの人々に教育の機会を与えようとした円了博士のことですから、修験道の行場と富士塚にヒントを得て、哲学堂が位置している小高い丘の和田山を哲哲学のテーマパークとしての哲学堂公園 34

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