は、国木田が絶賛した武蔵野の情景をよく表している一節であるといえるでしょう。このような時代背景のもとで、円了博士が、都心を離れた田園地帯において教育を行うことに対する憧憬の念を持ったとしてもけっしておかしいことではないと考えられます。円了博士は、アメリカの哲学者であるエマソン(明治一五年没)にも通じていたようでつ 事実の象徴である。自然のあらゆる外貌は、精神のある状態に対応している。」といすが、エマソンが著書の「自然」の中で述べている「あの植物園の中に立つとき、どんな奇怪な、どんな野蛮な、あるいはどんなに美しいかたちをした自然物も、それを見る人間の内部の表現にほかならない、という妙な確信を覚える」「自然の全体が人間の精神の隠喩であり、比喩的表現である」「自然のすべての事実は、ある精神的なう言葉を円了博士が知ち悉ししていたかどうか、また、円了博士の哲学堂着想の基底になっていたかどうかは不明です。しかし、エマソンの「自然」は、哲学堂のイメージ 二 哲学堂公園が目指したもの15)33
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