東洋大学史ブックレット9
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はあまり珍しいものではなくなってきていますが、日比谷公園ですら珍しいものとして登場していた当時としては、常人では考えもつかなかった斬新なものとして受け入れられたのではないかと考えています。むしろ時代の最先端を行き過ぎていたが故に、受け入れられるにはそれなりの時間がかかったのかもしれません。例えば、哲学堂創設の三年後の明治四○年に刊行された東京市編纂の「東京案内」では、哲学堂は取りあげられていませんが、大正八年に刊行された東京女子高等師範学校附属高等女学校編の「遠足の栞」では、四聖堂や六賢台の紹介や眺望の良さが紹介されています。(1)回遊式庭園この哲学堂の着想ですが、基本的には回遊式庭園がベースになっているのではないかと考えられます。回遊式庭園は、日本庭園の形式のひとつです。園路を使って庭園内を回遊し、築山、池、小島、橋、名石などで再現された各地の景勝などを鑑賞する 二 哲学堂公園が目指したもの 13)12)31

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