東洋大学史ブックレット9
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を始めた円了博士ですが、文字の読み書きができない人やその日暮らしの人達が数多くいる中で、すべての国民に学問が行き渡ることの難しさを痛感していたに違いがありません。西欧において教会の壁画やステンドグラスが教義を教える教科書のような役割を果たしていたように、哲学の世界の教えをできる限り可視化することによって身近なものとしてアプローチできるような環境を整備し、また、五感をもって心の奥底を揺さぶる感動をもって哲学を身につけてもらいたいという意図で哲学堂を整備したと考えられます。今日、聴衆の理解を深め関心を高めるためのプレゼンテーションの技法としての図や写真の活用は一般的なものになっていますが、円了博士の時代にあってはその着想自体そのものも斬新なものであったのではないでしょうか。また、円了博士は、妖怪の研究者としても知られており、妖怪博士の異名も持っています。これもまた「可視化」と相通じるところがあります。常に、一般市民にとって分かりやすい形態や事例でもって、難しいことであっても平易に説明をしようとす 哲学のテーマパークとしての哲学堂公園26

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