東洋大学史ブックレット9
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には体を養う公園があると同時に、心を養う公園がある。教会堂がそれである。休日の半日を公園で費せば、必ず他の半日は会堂に費すことになっている。日本もこの心を養う公園がほしい。体を養う公園が日に月に増えているのに、心の公園がない。」という問題意識のもとに、肉体修養の公園と考えられていた浅草・上野・日比谷公園などとは異なる精神修養のための公園として哲学堂を位置づけています。肉体を錬磨する方法としては運動や体操があり、これによって人は健康を維持しています。一方で、精神も肉体と同様に鍛錬することが必要であり、それが哲学を学ぶことであると円了博士は考えていたのです。また、円了博士は、想像力を豊かにすることの効用についても触れています。物理学上の力や化学の元素などの目に見えない感覚外の物事や道理を研究する場合には、想像するしかありませんが、その想像には、妄想や空想ではなく、確かな語彙力や体験に裏打ちされた理論的に確実な思考力が必要になるとして、観念の世界に終始することの危うさを指摘しています。換言す 哲学のテーマパークとしての哲学堂公園10)24

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