たようです。このため、円了博士は、人が人としてより良く生きるための学問であり、思想練磨の術でもある「哲学」の普及のために、哲学を学習することができる場所を増やさなければならないと考え、哲学館(後の東洋大学)を創設しました。また、当時は、大学などにおいて高等教育を受けられる人はごく一握りの人達でした。地方に行けば、教育を受けたくても受けられない人が多く、迷信や妖怪などを信じて疑わない人達も多くいました。このため、哲学館で教育をするだけでなく、哲学館講義録を発行して全国各地への通信教育を行うとともに、全国各地を巡回しての講演活動も積極的に実施していたのです。このような貴賎の分け隔てなく広く知識の普及を図ろうとする円了博士の姿勢は、哲学館の開設趣旨の文書中にある「余資なく、優暇なき人のために」という言葉に象徴されているといっても過言ではないでしょう。「大学などにいって勉強するだけの資金(経済力)や時間的余裕のない人」に対して教育の機会を開放し、これによって哲学の普及を図ることにより、西欧列強の脅威 二 哲学堂公園が目指したもの 21
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