東洋大学史ブックレット9
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ソフィー(ph知学」(※事理に明らかなこと・知ることを求めるための学問といったニュアンスになります)といった表現もされていました。ルードウィヒ・ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」において「哲学の目的は思考の論理的明晰化であること。哲学は学説ではなく活動であること。哲学の仕事の本質は解明することにあること。」といった趣旨のことを述べていることから類推できるように、哲学とは人間・社会・宇宙を知るためのものであり、本当の意味での教養を身につけるための学問なのかもしれません。イマヌエル・カントも「道徳形而上学原論」において「古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち、物理学、倫理学および論理学である。」といった趣旨のことを述べているように、人が人としてより良く生きていくための手段として学ばなければならないことのすべてが「哲学」に関わることなのかもしれないと考えた場合には、円了博士が少年期から青年期にかけて追い求めていたものが「哲学」の中にあったとilosophy)の直接の訳語は「愛知(智)学」であり、当初は「希哲学」「汎8)哲学のテーマパークとしての哲学堂公園7)18

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