ソ教また真理とするに足らず。……余これよりますます洋学の緬奥を究め、真理の性質を明らかにして、心ひそかに他日一種の新宗教を立てんことを誓うに至る。爾来、歳月勿々、早くすでに十余年の星霜を送る。その間余がもっぱら力を用いたるは哲学の研究にして、その界内に真理の明月を発見せんことを求めたるや、ここにまた数年の久しきを経たり。一日大いに悟るところあり、余が十数年来刻苦して渇望したる真理は、儒仏両教中に存せず、ヤソ教中に存せず、ひとり泰西講ずるところの哲学中にありて存するを知る。ときに余が喜びほとんど計るべからざるものあり。」今、私達が思い描く「哲学」の学習とは、どちらかといえばソクラテスやカントといった著名な哲学者の著述や思想について歴史上の出来事を学ぶようなスタンスで暗記すること、といったイメージの方が一般的かもしれません。「哲学」は日常生活には役に立たない難しい学問と受け止められがちであるともいえます。しかし、フィロ 二 哲学堂公園が目指したもの17
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