東洋大学史ブックレット9
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(2)東洋大学とのかかわり東洋大学にゆかりの深い地である哲学堂公園ですが、中野区が管理運営する都市公園になった今でも、東洋大学と哲学堂公園は密接なかかわりを持ち続けています。東洋大学では、大学関係者により毎年六月六日に、円了博士の祥月命日法要として哲学堂公園向かいにある蓮華寺において「学祖祭」を、一一月第一週の土曜日には、井上は、都内の私学の連合の代表者となって、教員免許の私学への開放を求めて文部省と粘り強く交渉した結果、ようやく明治三二(一八九九)年に哲学館など四校に中等教員の無試験検定が認可されました。しかし、その第一回の卒業生が誕生する明治三五(一九○二)年一二月に、哲学館は認可を取り消される事件が起きました。これが「哲学館事件」です。取り消しの理由は、倫理学の学生の答案の中に、「動機が善ならば弑逆(しいぎゃく・主君や父を殺すこと)も許される」というミュアヘッドの教科書の一節を見つけた文部省の視学官が、国体に反するとして問題にしたからです。この事件は社会的な問題として発展し、文部省の私学撲滅策という批判もありました。井上円了はロンドンで事件の発生を知り、日本の狭さを実感したと述べています。 一 哲学堂公園とは 11

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