「独立自活の精神」で進んだ証左であると考えられます。円了博士は大正八年に享年六一歳で逝去されましたが、その後、哲学堂は円了博士 の遺言に基づき、財団法人による運営を経て政府に寄付されました。また、昭和二一年からは東京都の都立公園として供用され、昭和五○年には東京都から中野区に移管されて「中野区立哲学堂公園」となり、世界にも類を見ない哲学のテーマパーク・精神修養のための公園として、また、桜の名所といった市民の憩いの場として、多くの人々に愛され続けています。※注1「哲学館事件」当時、文部省は官学(国立大学など)の卒業者に対しては教員免許を卒業とともに与えましたが、私学の学生は別途に検定試験を受けなければならないという規制がありました。円了博士5)哲学のテーマパークとしての哲学堂公園10
元のページ ../index.html#14