これらの整備資金については、有志者からの寄付金ではなく、円了博士が全国を巡回して集めた講演や揮毫に対する募金で賄われたとのことです。円了博士は、「有志者から寄付を仰ぐのは本意ではないこと、国民道徳のおおもとである教育勅語の趣旨を普及啓発するために全国各地を巡回して講演や揮毫を行う必要があるが、その際に頂いた謝礼の半分を経費や慈善事業に、残りの半分を哲学堂の建設費や運営費に充てる」旨の決意を著書の「哲学堂案内」に記しています。しかし、この資金集めの方法については、現代では至極当然のこととして受け止められていますが、当時は学者にあるまじき行為とされ、「守銭奴」「俗学者」と批判されたようです。しかし、円了博士は「字を書きて恥をかくのも今しばし、哲学堂の出来上がるまで」と取り合わないようにしていたといわれています。このように泰然自若としていられたのも、精神修養のための公園建設に向けての確固たる意志と熱意を持たれていたからであると考えられます。これを伺い知るものとして、円了博士が、哲学堂を世の中のためになる公 84)哲学のテーマパークとしての哲学堂公園3)
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