東洋大学史ブックレット9
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公園の沿革(表2参照)。(1)整備の歴史哲学堂公園の起源は、円了博士が明治三五年に大学の移転用地として約一万坪の土注 6記念して、釈迦・孔子・ソクラテス・カントを祭る四聖堂の建設に着手しました。し地を購入したことに始まります。円了博士は、その翌年には、哲学館大学への昇格をかし、その後、哲学館事※1件の影響による体調不良などがあったのではないかと推測されていますが、円了博士は大学の校長を引退するとともに、その頃から哲学のテーマパークとしての哲学堂の整備に本格的に着手し始めました。明治四○年には哲学堂拡張予告を発表、明治四二年~四五年には哲理門・六賢台・三学亭・常識門・髑髏庵・無尽蔵などを建設、大正二年~四年には宇宙館・絶対城・鬼神窟などを建設、大正七年には硯塚を設置し、この頃にはほぼ現在の哲学堂の形が完成したといわれています2)哲学のテーマパークとしての哲学堂公園

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