明治三年(一八七〇)大教宣布明治四年(一八七一)廃藩置県(一八六九)に神祇官に宣教使を置き、翌年に大教宣布の詔書を発布、天皇の神格化と大教宣布は明治新政府による宗教統制政策で、国学者平田篤胤をリーダーとする復古神道の主張によって祭政一致をめざし、神道信仰を強制しました。まず、明治二年国民の教化をはかりました。さらに明治六年(一八七三)には宗教統制政策の推進を試み、その政策を担う教導職を育成するため、東京に大教院を開設し、各府県には中教院を置いて、管内の小教院を統括させました。しかし、この政策は仏教側の強い反対で早くも同年に廃止されます。廃藩置県は明治新政府が江戸時代の幕藩体制に見られる封建制を廃絶するために断5 行した政策です。明治になって版籍奉還後も封建制の実質は存続したので、木戸孝 一 明治の開花期という背景
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