五年)に国民道徳普及会へと発展するのです。するものにあらず」と結論しています。その中で、自らの進取の精神にかける国民性を取り上げ、その教育向上を根本から見直すために、国民教育の必要性を力説しています。実際に円了は帰国後、「広く同窓諸氏に告ぐ」を発表し、①哲学館大学の開設、②哲学堂の建設、③修身教会運動の設立と全国巡講についての決意を表明します。特に最後の修身教会運動は、西洋の教会に習い、修身道徳を教える場を作る必要があること、その全国組織として寺院や小学校などを活用しながら、哲学堂を総本部の役割を果たすものとして組織化しようとしたものであって、学校教育以外の民間教育・社会教育として、修身教会運動を構想したことがうかがわれます。この運動が、後(明治四 三 円了の三回の長期旅行とその意義 35
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