経)をわが国に将来し、本格的にチベット仏教をわが国に紹介した人物です。の僧となり、慶応義塾から哲学館に転じ、仏教を学んだ篤信家ですが、哲学館卒業後には宇治の黄檗山萬福寺で一切経を読むうち、さらに大乗仏教の深源をとどめるチベットに赴くことを決意します。そうして、入念な準備の後、仏典を求めて当時鎖国中だったチベットに日本人として初めて潜入し、チベット・ラサの僧院で仏教を学んだ人物です。慧海は帰国後、ダライラマから譲り受けた大量のチベット語仏典(大蔵帰国後は東京大学をはじめ、幾つかの大学でチベット語を教授しましたが、哲学館でも若い俊才たちを集め、自ら篤志家に寄付を願って奨学資金を集めて、彼ら給付生にチベット語の教育を施し、仏教学を担う研究者を育てようとしたことも知られています。(写真「慧海が財界人に当てた勧進書(東洋大学図書館蔵)」)慧海が円了と会ったのは一九〇二年一一月のコルカタですが、その前に国籍を偽ってチベットに入国していたことが露見したため、難を逃れてチベットを脱出したので 井上円了の世界旅行30
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