東洋大学史ブックレット8
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第二回の視察のではない。たとえばイギリスのジェントルマン(階層)を育成する教育に見られるように、人物の品性、特性を重視した教育を施すべきである。以上の問題を掲げつつ、今後は日本固有の学問を基本にし、これを助けるのに西洋諸学の体系を用いる、それが「日本国の独立、日本人の独立、日本学の独立」を目的とした「日本主義の大学」につながるという構想を発表したのです。つまり、哲学館の教育の中にこの方針を活かそうとしたものです。第二回目の旅行は、明治三五年一一月一六日から明治三六年七月二七日にかけての約八ヶ月の旅でした。第一回目の外遊から一四年後のことです。この旅は第一回目の巡航コースとは逆に、横浜から出港し、西廻りで中国、インドなどヨーロッパに渡り、アメリカを経由して太平洋を渡って横浜港に帰着という西周りのコースです。 三 円了の三回の長期旅行とその意義  25

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