東洋大学史ブックレット8
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活の洋式化が叫ばれ、いわゆる鹿鳴館時代を現出したことで知られます。井上馨は、まず失われた法権の回復を図ろうとし、明治一五年(一八八二)条約改正予議会、明治一九年(一八八六)条約改正会議を各国との間に進めましたが、その際には伊藤博文らとともに、明治一六(一八八三)の鹿鳴館を開館したことに象徴されるように、制度、文物、習俗を欧風化して、欧米諸国に日本の近代化を認めさせ、交渉の促進を図ろうとしたのです。鹿鳴館での政府高官と外国使臣との社交、官庁をはじめ洋館建築、服装、結髪、食事、礼法など風俗の洋風化、キリスト教の奨励や言語、詩歌、小説、演劇、美術などの改良運動、はては人種改良論など極端な思想まで唱道されるようになりました。明治二七年(一八九四)陸奥宗光外相のときに、初めてイギリスとの治外法権撤廃に成功しまⅱ   した。また日露戦争の後、一九一一年に小村寿太郎外相のときには、関税の自主権を回復し、ようやく不平等条項の撤廃が実現されたのですが、このような長い時間をかけた外交努力が必要だったのです。井上円了の世界旅行16

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