を向けるようになった我が国にとって、画期的な出来事でした。この使節団は帰国後、見聞した欧米各国の状況を、新しい国家体制の骨組みを作るために社会の様々な分野で活躍し、明治以降のわが国に大きな役割を果たしてゆくことになります。なお、この岩倉使節団の記録は、太政官少書記官として随行した久米邦武によって編纂され、明治一一年(一八七八)に『米欧回覧実記』として刊行されました。そして、円了の世界旅行はそれから一○年後に行われることになります。ⅰ 文明開化とは、江戸時代の古い文明を野蛮未開と否定し、怒濤のように入ってくる西洋の文物を摂取することが社会進歩の道であるとするもので、その代表が欧化主義と言えます。欧化主義は、明治一〇年代、ヨーロッパ文化の移植を目的とした外交政策および社会風潮をいいますが、特に外務卿井上馨の欧化政策により、生 二 岩倉使節団とその時代的背景『米欧回覧実記』 15
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