東洋大学史ブックレット8
18/52

社社長)や、後に民権思想のリーダーとなる中江篤助(兆民、東京外国語学校長)、ルーズベ文部大臣)、新島七し五め三た太(襄、三等書記官、同志社設立)などもいました。の中には、使節団員として理事官・山田顕義(陸軍少将、日本法律学校で後の日本大学創始者)、一等書記官・福地源一郎(東京日々新聞社長、衆議院議員)、留学生としては団琢磨(三井合名会ルト大統領の学友となって日露講和に貢献する金子堅太郎(農商務・司法各大臣)がいた他、後に留学生に加わった井上毅(大日本帝国憲法及び皇室典範・教育勅語等の起草、枢密院顧問官、また、留学生には北海道開拓使黒田清隆推薦の五人の若い女性がいたことも知られています。後に津田塾大学を創設する津田梅、会津藩家老の娘で帰国後は日赤篤志看護婦人会を創設した山川捨松、東京女子師範学校教授となった永井繁などが含まれていました。彼女たちの活躍も忘れることはできません。以上のように、明治初頭に明治維新の立役者たちが海外の事情を具に学ぶため、こぞって欧米に出かけたという岩倉使節団は、長い間の鎖国体制から脱却して海外に目  井上円了の世界旅行14

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る