(明治四年、一八七一年一二月二三日)→アメリカ・サンフランシスコ、ワシントン(条約交渉)岩倉使節団の行程治政府は下交渉する必要があったのです。最後の「新政府の国政方針の立案」とは、新政府の首脳が欧米の文物を直接見聞することで、国政の方針に役立てようとすることでした。このように使節団の使命は、幕末に締結された諸外国との不平等条約の改正にあったのですが、同時に、「殖産興業」「富国強兵」という明治新政府の国策の基礎となるべき社会・経済システムの調査と情報収集にあったことも重要な点です。岩倉使節団は、明治四年(一八七一)一二月二三日から、明治六年(一八七三)九月一三日、実に二〇カ月六三二日間にかけて欧米一二カ国を視察しました。その経路は横浜→イギリス・ロンドン→パリ→ベルギー・ブリュッセル→オランダ・ハーグ→ドイ 二 岩倉使節団とその時代的背景 11
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