東洋大学史ブックレット8
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. . F. (Gまたこの時期には、海外から多数の外国人技術者を雇いましたが、同時に岩倉具視を代表とする使節団を欧米列強に派遣し、諸国の社会体制をつぶさに見聞させたのです。実はこの岩倉使節団は、アメリカのオランダ改革派教会の宣教師・フルベッキフルベッキは安政六年(一八五九)長崎を訪れ、後の明治政府の高官となる多くの人9  H次の三つに纏められます。材を育てましたが、この時の門下生に、大隈重信・伊藤博文・大久保利通などがいました。明治二年(一八六九)、フルベッキは大隈重信に対して欧米への使節団派遣を提案しますが、これが後の岩倉使節団の原案となったのです。この意見書は、「ブリーフ・スケッチ」と呼ばれ、アメリカのニュージャージー州ニューブルンスヴィック改革教会ガードナー・A・セイジ図書館に所蔵されています。この使節団は明治政府の初めての派遣使節団であって、多数の随行員を伴っていましたが、その目的は、主にVerbeck)によって提案されたものでした。 二 岩倉使節団とその時代的背景

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