明治五年(一八七二)学制発布允、大久保利通らの提唱で、残っていた二六一の藩を廃止して府県制を施行し、中央集権の政治体制を確立しようとしたものです。明治政府が採用したフランスの学制にならい、全国を小学校から大学校まで一貫した学区制度によって区分し、近代的教育体系の確立を目指したもので、これによって国民の教育の機会均等、義務教育制度の確立をなそうとしました。しかし、経済的負担による農民一揆などが起こり、明治一二年(一八七九)の教育令よって改廃されます。また、明治一九年(一八八六)には帝国大学令を公布し、「国家の必要に応ずる学術技芸の教授・研究」という国家主義的な教育目的を明確にし、それまでただ一つの大学であった東京大学を帝国大学と改称しました。以上のように近代国家形成に向けての明治政府の取り組みは、民衆の反発を招きな井上円了の世界旅行 6
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