明したところ、海舟はその志に大いに賛同して、多額の寄付を寄せてくれました。その上で、海舟は広く人びとから寄付を募るように、円了を励ましました。そこで円了は、学校建設と運営資金を得るために、各地で講演会を開いて、寄付を募ることにしました。円了の回想によれば、明治二三年(一八九〇)「教育勅語」が出たことを機会に、「全国に向かって哲学館将来の目的たる東洋大学開設の旨趣を報道したいと思い、全国遊説に着手致した」と述べています。この頃には、哲学館を東洋大学にするという構想をもっていました。円了は、後援者の資産家や政府の有力者との結びつきもありませんでしたから、一時に多額の資金援助を得ることができませんでした。また、それは円了の志すところでもありませんでした。普通の人びとの篤志により、学校を運営することが円了の目指すところでした。 一 はじめに 3
元のページ ../index.html#7