れていました。円了に限らず、大学で西洋的知識を学んだ多くの若いエリートたちが、この分野に活動の場をもとめて展開していきました。自分たちで学会を新しく創り、文学を興し、絵画を描いて、近代文化の基礎を開拓したり、企業を興したりしていきました。井上円了の人生も、こうした時代の雰囲気のなかで形作られたものといえます。円了は、大学を卒業してから就職を断り、教育者としての道を歩み始めます。その目標は学校を創り哲学を普及させることでした。明治二〇年(一八八七)に円了は、「哲学館開設の旨趣」を発表して学校創設に乗り出しました。この旨趣に賛同して二八〇名の人びとが寄付を寄せてくれました。後に哲学館は、これらの人びとが創ったのだと円了は回想しています。しかし開設当初は、まだ麟祥院という寺院の間借りで、校舎もありませんでした。また学校運営にも資金が必要でした。その頃、知り合った勝海舟に哲学館の旨趣を説井上円了の全国巡講 2
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