めていました。中央では大学が出来、西洋式の教育が行われ、その教育を受けた人びとが、地方に帰り、教員や役人として活躍し始めました。こうした人びとを通じて、近代的な生活様式が地方にも広がります。江戸時代から中央への遊学と交流は始まっていましたが、明治維新後この傾向はますます強くなります。円了は東京では哲学館と大学を創設して、地方から出てくる若者に学ぶ機会を与え、自らは地方に出かけていって、講演によって人びとを新時代にふさわしいものに導こうとしました。熱心な聴衆に恵まれることもあれば、ほとんど聴衆がなく、柱に向かって語ったということもありました。また共感をもって聞いてもらえるときもあれば、まったく興味本位ということもありました。哲学を学ぶというと鉄学と取り違えて、鉄道の技師にでもなるのかといわれるような時代のことです。しかし地域には、円了を評価できる人たちが少数ながらいて、彼らが円了を迎え、多くの聴衆を集めて講演会を開いたのです。明治末期からは哲学館卒業者が地方にいて、円了を迎えたり、この機会に同窓会など井上円了の全国巡講34
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